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シャルル五世[一三三七-八O年]は、避暑用の宮殿を建築し、その付属公園を設計しているうちに、一本のヒツジの通路と重なりあうことがわかった。 すると、メスタは国王に公園の敷地を制限し、そのまわりにへいをつくって国王の土地をヒツジの通路と区分けするようにせまった。 一般の百姓たちは、強い権力をもつ国王に対しても自分たちの意志をとおした組合には、いいなりになるよりほかなかった。 三万頭から八万頭のヒツジの群れが田野を横断するとき、一部のものが群れを離れたり迷ったりすることは避けられないことである。 もし百姓たちが、巨大なヒツジの流れが洪水のようによぎる前に作物を取り入れておかなかったら、たった一晩で自分たちの畑が丸坊主されているのを見いだすにちがいない。 この種の災害に対しては、何らの補償もなかった。 畑の所有者は"メスタ評議会"に斌してしか異議の申し立てができなかったうえ、このヒツジ所有者の法廷の裁判官たちは、すべてヒツジ飼育業者であったからである。 百姓たちは、自分の土地を、生け垣や垣根で防御することさえも許されなかった。 法廷に対するこの種の告訴は、すべて決まり文句で判決されるのであった。 すなわち「農民は自分の作物を食い荒らされる前に収穫しなかったばあい、みずからその責めを負うべきである」。 |