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イギリスはメワノ種の羊毛との競争には腹を立てたげれど、品種そのものについては異論がなかった。 それで、スペインのヒツジ飼育業者が英国産のヒツジを輸入してメリノ種とかげ合わせたのと同じように、イギリス人もメワノ種と国産のヒツジを交配した。 ムーア入がスペインから追放されてから、メリノ種の数はしだいに増加していった。 そして、ヒツジ銅育業者は室分たちだけの同業組合"メスタ"を設立するほどの力をもつようになった。 "ガナデロス"とよばれる何千入もの裕福なヒツジ飼育業者たちは、その所有地内における独臼の行政権を主張し、事実上の地歩を築いていった。 かれらは、ある条件のもとでだけ国王に従い、百姓たちは.かれらに対してまったく無抵抗であった。 |