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レスターシャー州のペークウェルという飼育業者は、一七七五年から一七九〇年までこの間題に取り組んで、リンカーン種、ライランド種やティースウォーター種のヒッジをかけ合わせた。 遺伝の法則にかんする知識は、まだまったく自己流であったが、かれはこの動物を「まるでヒツジがやわらかい粘土であるかのように」(リヒアルト・クレット)こねあげてつくった。 ついにかれは品種をつくりあげて、自分の名前をつけたけれど、最終的にはべークウユル種はディシュレー種として知られるようになった。 このヒツジは、骨組みが軽いことと、脂肪にくらぺて赤身の肉の割合が多いことに特徴があった。 この品種はあきらかにすぐれており、その需要は急速に増加していった。 ご七八〇年にぺークウェルは・かれの雄ヒッジの殲付け料とし三〇ざ〒を課した。 マトンの品質と数量はいちじるしく上向き、イギリスの飼養種は、世界中で好評を博すようになった。 |