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また、戦前まで静岡県・原の植松氏宅には参勤交代の途中に大名が立ち寄って観賞したと伝えられる赤松の盆栽が多数あったという。 しかし、そうした赤松は今日いう「盆栽」と同日に論じられない魁偉なものが多いことも事実であろう。 幕末から明治にかけて文人たちが好んだ樹種として、茉莉花・仏手柑・赤松・黒松などがあり、中国趣味への傾斜もさることながら、赤松の存在は無視できない。 また、いわゆる文人盆栽が定着した明治期の関西では、樹種として赤松が最も好まれるようになり、黒松・真柏・柘榴・楓・樫柳・落葉松・蟻梅・花梨・木瓜・梅・海巣などがこれに次いだ。 明治後期以後は盆栽の中心が東京へ移り、特に五葉松・蝦夷松・錦松が全盛となって赤松はほとんど忘れぢれたのである。 |